MENU

ものづくりをやめたわけ

一度立てた夢を手放すことにした。
 
2021年9月、自分でデザインした作品を販売して生計をたてていくぞと決心したわたしは、勤めていた会社を入社3カ月で辞めた。3ヶ月で退職したのにはそれなりの理由があるわけだが、書き出すとキリがないことに気づいたので、また改めて書きたいなと思う。どちらにせよ、「いずれは独立してみたいなあ」「何かしらのチャレンジをしてみたいなあ」と思っていた私にはいわゆる災い転じて福となすような、良い機会だと思った。といってもその時点で食べていけるだけの収入があったわけではない。新卒で入った印刷会社にいたころにデザイン・設計をし、退職するときに販売事業を切り離してもらえた「卓上ミニカレンダー」は平均して月2万円程度の売り上げがあったが、他に商品はなにもない状態でのスタートだった。次の作品のアイデアが2、3個ある程度だった。卓上ミニカレンダーは自分がデザインした初めての作品であり、会社の人達からの「ひとつも売れない」「個人向けは厳しい」という声もあるなかで、各種販売サイトでの反応は思っていたよりもよく、企業からの問い合わせもいくつかあった。今思えばただのビギナーズラックなわけだが、デザインのことを学校で学んだわけでもないのにこの成果だったら本腰を入れたらもっとよい成果を出せるはずだと本気で思った。自分のデザイン力を過信していたなと今になって思う。元来ポジティブな私は気楽に考えていた。アルバイトで食い扶持を確保しながら、デザインの勉強をし、制作物を積み上げていけば自分なら結果は出せるはずだ、と。

丸2年が経った2023年9月。ものづくりで生計を立てていこうとする試みに、いったん終止符を打つことにした。作品を販売することで生計を立てていくことはできなかった。再びサラリーマン生活に戻ろうと思う。今回の記事ではそこに至るまでのきっかけ、自分の考えの変遷について書いていきたい。ここで自分の考えを整理しておきたいという気持ちがあって書き始めたが、なにかに挑戦しようとする人への反面教師になれたら嬉しい。

きっかけのひとつ。なんといっても売れないこと。
前述した卓上カレンダーは今でもそれなりに売れているが、会社員を辞めてから出した作品はほとんど売れなかった。2、3個売れたらいいほうだった。販売サイトに卓上カレンダーと同じように出せど、すぐに他の大量の作品たちに埋もれていく。広告を出せども焼け石に水。音沙汰なし。この生活を始める前には、「売れないこともあるだろうし、たくさん失敗もするだろう、それでもその経験を生かしてどんどん制作を進めていけばいい。続けることが大事。」なんて思っていたが、売れないこと、反応がないことがこれほど辛いとは思わなかった。もちろん、自分なりに売れなかった理由を考えて次の作品に生かしていこうとはしていた。ニーズを掴めているか、とか、新規性、有用性はあるか、とか、差別化要因はあるかとか。考えが甘いと言われればそれまでだが、努力が成果に結びつかない。売れない理由がわかっているようで、実はわかっていないのではないか。売れない理由なんて分かっていたらそれをやるだけだから苦労しないよ、なんて愚痴も言いたくなる。

それでも試行錯誤してヒットに繋がるまで作り続けていけばいいとも思った。ただ私の中にはもう1つ心の中で引っかかるものがあった。それは、私が制作してできたものや、制作過程の中で、社会的な意義を見い出せなかったということだ。ものを作るということはそれだけ資源を消費するということである。作れば作るほど、売れれば売れるほどにエネルギーを使う。私が豊かな暮らしをするために、どんな形であれ「みなさん買ってください」と消費を喚起しなければならず、売上に比例して資源が使われていく。売れなかったらもっと悲惨で、在庫の山をさらにまたエネルギーと引き換えに処分しなければならない。考えれば考えるほどに、ものづくりと環境問題は切っても切り離せない。環境に配慮した製品というものもあるが、それでも資源を消費していることに変わりはない。結局のところ、作り使われるものは少なければ少ないほど良い。本当に大切にしたいと思うものを、修理したり、一部を交換するなどして、できる限り長く使うのが一番良いのだ。これが私がものづくりと向き合う中で行き着いた答えの一つだ。それを踏まえると、どうしても考え込んでしまう。「私がこれを作りたい!」と思う作品たちに、環境負荷をかけてまで作る意味があるのだろうか。そこまでの自信がどうしても持てない。事業として成り立たせるには、それだけのボリュームが必要だ。無駄も出る。それだけの価値があるだろうか。この世の中にはありとあらゆる製品が溢れている。目新しい機能性があるわけでもない。1点ものとしてのアート的価値があるほどに優れたものでもない。わたしの製品は代替可能じゃないか?

それでも作ることが本当に好きだったらそれでも諦めなかったのではないかな、とも思う。どうしてもやりたい!という直感的衝動、やらなければ落ち着かないという制作への渇望、そういったものに乏しい気がする。継続できることも一つの能力である。一流になるためには最低10年必要だと本でも読んだことがある。一朝一夕には身につかないのだ。若くして成果を上げている人も、小さい頃からの積み上げがあることが多い。

ともかく、事業として大きくさせるという野望は、ここで一旦ピリオドを打つことにした。とはいえ、ものづくりが嫌いになったわけではないし、卓上ミニカレンダーの売り上げはそれだけで生活できる程ではないが、ちょっとしたボーナス程度にはなる。それにレビューなどで喜びの声を頂けるのは率直に嬉しい。だから私はものづくりに対する向き合い方を変えることにする。この事業は大きくしない、徒に広告宣伝を打って消費を喚起しない、小さくていいから身の丈にあったままでいる、欲しい人がいる分だけを生産する。そしてまた新しい作品が思いついたとしても、自分にとって本当に作る価値があるものなのかを吟味し、数個単位で製作する。資本主義に沿い、事業としてやっていくとなると、どうしてもスピードが求められてしまう。大きな売り上げを追うことなく、ライフワークとしていいものを作るのだ。一生かけて。なんだかそっちの方がかえっていいものが作れそうじゃないか?

物事には、自分の能力と熱意に見合った向き合い方があるということ―。そのことを理解できただけでも、遠回りした意味があったかもね。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次